戦国屈指の築城名人 藤堂高虎 その手掛けた城の特徴とは

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藤堂高虎といえば、何度も主が変わったことで有名ですが、戦国期屈指の築城名人でもあります。

最後は家康にも重用された藤堂高虎。

そんな彼が築城名人と呼ばれる秘密に迫っていきます。

戦国時代の築城名人 藤堂高虎が手掛けたお城

築城名人と言われていますが、実際にどんな城の築城に関わったのかを見ていきましょう。

今治城

日本三大水城で堀に海水を引き込んでいました。日本初の五層天守閣だったと言われますが、遺構が存在しないため、天守閣の存在は疑問視されています。

宇和島城

珍しい五角形平面の縄張りで有名です。現存天守はのちの伊達氏によって建てられたものです。

伊賀上野城

30メートルの髙石垣で有名です。五層天守閣を建築中に嵐により倒壊し、改修の目的であった豊臣氏も滅亡したとことから天守閣は再建されず、津藩の支城と使用されます。現在模擬天守がありますが、江戸期には存在していません。

津城

今治から移封し、元々あった物を輪郭式のものへと大幅に改修しています。以前よりあった三重天守、二重小天守は残していたようですが、1662年の火災で焼失後、再建されないまま明治維新まで藤堂氏の居城でした。

篠山城

豊臣氏をはじめとする西国大名牽制のために徳川家康が天下普請で築城を計画。藤堂高虎は縄張りを担当しました。松平家、青山家の幕政を担う名門家の居城として、明治維新を迎えます。

膳所城

東海道の抑えとして家康の天下普請により築城しました。琵琶湖に突き出た土地に造られ、琵琶湖を天然の堀として使用しました。

他にも、豊臣秀吉の聚楽第、徳川家康の江戸城大改修などその時代の政治の中枢となる城の築城改修の中心人物となっています。

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藤堂高虎の築城の特徴

藤堂高虎の築城の特徴といえば、髙石垣と広い堀、大手と搦め手を明確に区別しているなどの特徴があります。

また、海に面し海水を堀に取り入れる、琵琶湖に突き出た土地に作るなど水城の築城に多く関わっています。

築城名人と名高い加藤清正の築城との違い

加藤清正といえば熊本城が有名ですが、他にも江戸城、名護屋城の築城にもかかわり、藤堂高虎とならぶ築城名人と名高いです。

この2人の築城の違いとしては、石垣においては、高虎は高さを重要視していますが、清正は徐々に傾斜をきつくする「武者返し」と呼ばれる反り返しのきつい石垣を好みました。

また、清正が豊臣氏滅亡前に亡くなったのに対し、高虎は江戸政権下で重用されたこともあり、手掛けた城の数にも違いがあります。

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まとめ

城を巡る際にはこの城は誰が築城をした城なのかというところを意識してみると、似たような造りが見えてきたりして新しい発見があるかもしれません。

特に築城名人と言われた藤堂高虎が手掛けた城は全国に多くありますので、特徴的な城を数多く建てた高虎の人生をなぞりながらその城たちを訪れるのも面白いかもしれませんね。

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