戊辰戦争の最終戦 五稜郭の戦い ここまで旧幕府軍が戦ったわけとは

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五稜郭の戦いといえば、新選組副長、土方歳三の最後を思い出しますが、そもそも、なぜ京都から北海道に移動してるの?

武蔵国出身だし、縁もゆかりもなさそう。

そして、五稜郭で撮影したという有名な歳三の写真は、なんで断髪で洋装なの??

そこには旧幕府軍の姿があったのです。

旧幕府軍が蝦夷地まで行った理由

そもそも、土方と旧幕府軍は最初から行動を共にしていたわけではなく、戊辰戦争末期に土方が仙台で合流しました。

この旧幕府軍とはどういう構成だったかというと、どこかの藩が主体だったのではなく、幕臣と呼ばれる江戸幕府に直接仕えていた俗にいう、旗本、御家人と呼ばれる人たちが中心となっています。

率いる榎本武揚も幕臣であり、オランダ留学するなど将来が期待された人物です。

帰国後幕府艦隊を率いる重臣となりますが、江戸城開城に伴う幸福条件の一つである海軍引き渡しに抵抗します。

徳川宗家の移封後、旧幕府艦隊と交戦派の幕臣たちと共に奥州列藩同盟の支援へ向かいます。

一見、新政府軍に追われて北上した結果の蝦夷地のとみられてがちですが、実は、榎本武揚は4月の段階で函館に行くことを同じく幕臣の勝海舟に打ち明け、諫められています。

このことから、当初から蝦夷地に向かうことは想定、むしろ目的としている気配があります。

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幕府直臣たちを養うために!?

幕臣は直接江戸幕府の盟主である徳川宗家に仕えていますが、明治維新で幕府はなくなり、徳川宗家も最終的には70万石になってしまいます。

しかい、当時の幕臣は約8万といわれており、徳川宗家は本来の自分の臣下に加えて幕臣を70万石で養うことになりますが、それは難しく、榎本は石高が決まる前から幕臣約8万の処遇を心配していました。

そこで目をつけたのが、原野森林が広がる蝦夷地です。榎本は当初、幕臣たちを蝦夷地に引き連れ、そこで屯田と北方警備を行えばいいのでは?と思っていたようです。

そんな中、奥州列藩同盟の誘いも受けることとなります。

新政府軍に勝利していたら?

蝦夷地にわたった彼らのことを俗に蝦夷共和国と呼びますが、とくに彼らが名乗ったわけでもなく、また独立を企んだわけでもありません。

榎本は新政府に対し、仙台・蝦夷での二回、旧幕臣の蝦夷地での開拓、北方警備への任の嘆願書を出していますが、新政府に断られています。

このことから、榎本たちは幕臣たちの身分の保証が新政府からあれば、和解に応じる気があったのかもしれません。

特に積極的に新国家を樹立する働きかけはなかったようです。

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まとめ

大政奉還で様々な変化がありましたが、直接幕府に仕えていた幕臣たちは一気に職を失うことのなってしまいました。

五稜郭の戦いはそんな幕臣たちの最後の抵抗でもあったのですね。

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