壮大な大阪城の石垣 あんなにたくさんの石はどこから運ばれてきた!?

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大阪城と言えば、その天守閣もですが、それらを囲む壮大な石垣が圧巻です。

総延長12キロ、一番高いところで30メートルを誇るこの石垣、使われた石もさぞ大量だったと思われますが、その石たちはどこから採掘されたのでしょうか。

実は深い石垣の作り方

石垣の作り方は実は大きい石を単に積み上げただけではないのです。

石垣の石は、実は私たちに見えている表面部分を底面とした四角錐に近い形になっており、それを土台となる土の部分に差し込んでいるような状態になっています。

しかし、これでは隙間が出来て不安定となってしまうため、栗石と呼ばれる小さめの石を隙間に埋め込んで作り上げられています。

大坂城の石垣の石の特徴

大坂城の石垣の特徴として、他の城の石垣に比べ、巨大な石が多いことが挙げられます。

特に桜門を入ってすぐにある、蛸石(たこいし)と呼ばれる巨石は大坂城でも一番大きく、畳約36枚分と言われます。

しかし、この巨石たち、奥行きはあまりなく、内部にさらに組まれた石垣が存在しており、それらを覆う化粧板的な役割をしていることが調査の結果、分かっています。

大坂城の巨石は他にもありますが、蛸石、肥後石、振袖石の特に大きな三石は瀬戸内海の島から運ばれており、どれも岡山藩のものです。

また、当時のことを記した日記に、廃城となった伏見城の石垣の一部を、大坂城の石垣に転用したという記載があります。

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石垣に適した石の産地

日本には加工に適した柔らかい石が少なく、その産地はかなり限られています。

瀬戸内海の島々、兵庫、京都の加茂、生駒が、美しい石垣を作るのに適した花崗岩の産地でした。

その中でも主な産地となったのが瀬戸内海の島々で、そこで採石された石達が大阪に運ばれました。

機械のない時代の運搬方法

今のように鉄道もなく、採掘の機械もない時代ですので、基本的には人力ですが、その時代で考えられる最も効率の良い方法によって運ばれます。

まず、島々からは船による海上輸送です。石運搬専用の船底が平らな船があり、平田船、段平船、石船などと呼ばれていたようです。

そして、揚陸してからは、修羅と呼ばれる道具を使って現場まで運ばれました。

修羅とは木製のそりで、その上に巨大な石を固定し、丸太の上にのせて大人数の人夫で引っ張って移動させました。また、後ろからも棒を使って押していたようです。

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過去の人々の労働に思いをはせて

お城めぐりの花は、やはり天守閣ですが、それを支える石垣にもいろいろな物語がありがあります。

機械もない時代、人力と英知で広大な石垣を作ったとこに思いをはせてみるのも良いのではないでしょうか。

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