豊臣秀吉が作った天下の名城大阪城 築城されたワケって知ってる!?

Sponsored Links

通天閣と並ぶ大阪のランドマーク、大坂城。

豊臣秀吉が築き、その後、大坂夏の陣で大破した後に、江戸幕府が再建し、大坂城代を置き、直轄の城としました。

大坂城代を経て、京都所司代、そして老中となる例も多く、それだけ重要な場所に位置する城であることが分かります。

しかし、秀吉は京都から離れた大阪の地に広大な大坂城を築いたのでしょうか。

古くから重要拠点だった場所

元々この地は、古くは難波宮がおかれていました。

この難波宮は大化の改新の舞台として、日本古代史でも重要な場所ですが、実は日本書紀に記載されているものの長らく場所がはっきりしておらず、終戦直後の昭和20年の発掘調査で場所が確認されました。

中世になると、織田信長と対立した石山本願寺があり、広大な寺町があり、これが現在の大阪の原型になったと言われています。

石山本願寺との10年に及ぶ攻防の末、織田信長がこの地を手に入れ、築城に取り掛かりますが、完成を目前にして、本能寺の変が起こります。

そのため、工事が一時中断となりますが、翌年、豊臣秀吉により再開され完成しました。

大阪の立地がキーポイント

大阪が重要拠点だった理由としては、まず第一に天皇が住む都である京都に近いことが挙げられます。

そして、港があり、物流の拠点となっていたこともありますが、元々大阪がある場所は淀川河口近くにあった島だったのです。

周りを川と海、湿原に守られている天然の要塞であったため、石山本願寺との戦いにおいて、織田信長が10年も攻略出来なかったとされています。

Sponsored Links

秀吉の死後に完成!

秀吉時代の大阪城築城の指揮を執ったのは、軍師として信頼を得ていた黒田官兵衛です。数回に分けて行われた築城は、秀吉が死んだ翌年に完成しています。

そのこともあり、秀吉は京都の聚楽第におり、晩年は伏見城で過ごしており、大坂城にはほとんどいなかったと言われています。

現在の大坂城は桃山時代+江戸時代

天下の名城の名を欲しいままにした大坂城ですが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡の舞台となります。

その後、徳川氏により徹底的に破壊されたため、現在残っている遺構、石垣は江戸時代のものとされています。

秀吉時代と比べて、敷面積は1/3程度になったと言われているため、今の大きさから考えても元々の広大さが偲ばれます。

城の面積自体は減りましたが、天守閣は江戸時代の方が大きかったとされています。

また、現在見ることが出来る大坂城(戦後に再建)は、豊臣秀吉が建てた天守閣を模しており、江戸期の石垣の上に桃山時代の天守閣がそびえ立っている形となっています。

0bbacf13133b72c7ab1c70659024a7d0_s

豊臣時代の遺構は土の中

現在、発掘調査によって、土中に埋められた秀吉の建てた大坂城の石垣などが発見され、それを公開する計画もされています。

大坂夏の陣が有名な城ですが、古代から続くこの地の変遷に思いをはせてみてください。

Sponsored Links

この記事が気に入ったら
いいねで城の小ネタをお届け!

城ログの最新情報をお届けします

カテゴリー

ページ上部へ戻る