織田信長の安土城!天守閣ではなく、唯一天主と呼ばれる城とは

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普通、城の『天守閣』は天の守りと書いて『てんしゅかく』と言いますが、織田信長の最後の城 安土城は天の主と書いて『天主』と言います。

天の主と称した信長こだわりの安土城天主はどのような建物だったのでしょうか。

安土城の天主は天の主が住む高層建築?

安土城は織田信長が1576年(天正4年)に琵琶湖へ突き出るようにのびる安土山にて建造を始めた城で、総石垣・瓦葺き・本格的な天守閣を有したそれ以降の城郭建築に多大な影響を与えた城です。ただ、安土城では天守閣のことを天の主と書いて『天主』と呼び、信長はその天主に居住していたと言われています。

『信長公記 天主の次第』によると、5層7階の高層建築で地下1階・地上6階であると言われています。その高さはおよそ32メートルぐらいあったのではないかと言われており、標高98メートルの安土山に約32メートルの天主が建造されていたのであれば城下から眺める景色はその当時の人たちが見たことのない、驚きのものだったのでしょう。

しかし、安土城天主が天正10年の本能寺の変後の消失により建物が残っていないため、どのようなものであったかは分からなく、幻の城と言われる由縁です。

前出の『信長公記』・『安土日記』・『天主指図』という文献によって、様々な復元図が作成されていますが、まだ実際はどのような天主であったかは分かっていません。

復元図でほとんど争いのない最上部6・7階部分については、近江八幡市安土町の「安土城天主 信長の館」にて原寸大で復元されており、今まで持っていた天守閣という概念ががらっと変わってしまうくらいの衝撃があり、一度見てみる価値があります。

ただ、信長が自分の居る場所であり、その権力の象徴である天主には、当代一の技術を持った職人たちに内装建具を作るように依頼し、壁画は狩野永徳一派に依頼したことを考えれば美術的価値の高い建造物であったとは容易に想像できます。

参考文献

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天主7階が八角形になった理由は

最上部の内、6階は正八角形の「八角の段」と言い、柱や天井はすべて朱漆に塗られ、その壁画は「釈門十大御弟子」などの仏教画が描かれていたとされています。7階は正方形で、外観は金箔で仕上げられ、内部は黒漆塗りであり、「三皇・五帝・七賢人」など儒教思想にもとづく壁画が描かれていたとされています。

安土城天主は信長が居住していたとされている場所であり、建物の施主としての信長が一番自分にとって過ごしやすいようにこだわりをもって意識したところといえ、そうであれば、天主7階が八角形になったのも以前に見た法隆寺夢殿が頭をよぎったかのしれませんし、権力の象徴としてのインパクトも相当あると単純にそう思っていたのかもしれません。

天主の大きさは後世の他の城と比べて大きかった?

信長こだわりの安土城の天主。その大きさを構造が似ているといわれる国宝:姫路城と比べてみたいと思います。

姫路城は5層7階の大天守で高さは31メートルと言われており、ほぼ安土城と同じ大きさです。姫路城と同じ大きさのものが98メートルの安土山の上に立っていたことを思えば、その天主の大きさをうかがい知ることができます。

しかも、姫路城天守閣は人の居住しない物置のような空間のみですが、安土城天主はそこに殿様である信長が住むというですから、私たちの度肝をぬく高層建築だったのでしょう。

当時の様子を再現する企画、VR安土城シアターでCGで作られた安土城の様子を見る事が出来ますので、どんな感じの城だったか気になる方は一度見てみてはどうでしょうか。

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