沖縄の観光名所 首里城の歴史 簡単まとめ

Sponsored Links

沖縄に訪れた人が一度は訪れるであろう首里城。

従来の日本の城とは全く趣の違う佇まいに、この島は独自の歴史と文化を歩んできたことを実感することができます。

しかし、首里城の歴史、意外とわかっていないことも多いのです。

首里城を建てた人は!?

琉球王の居城として有名なこの首里城。

築城の様々な物語や詳細な記録が残されていると思いきや、実は築城における諸々のエピソードはおろか、いつ、誰が築城したのかも不明なのです。

発掘調査により、13~14世紀に建てられたと考えられています。

琉球は、複数の豪族が群雄割拠し、その地にグスク(日本でいうところの城)を建てていました。抗争の結果、北山、中山、南山の三大勢力が統一を目指して争います(三山時代)。

この時期、首里城近辺を支配していたのは中山であり、明確な記述はありませんが、当時の中山王祭渡が築城にかかわったと考えられています。

ただ、中山の本拠地は浦添なので、当時首里城は支城であったと思われます。

Sponsored Links

首里城は首都になった

中山は1402年に南山の地方領主の一人であった尚巴志によって滅ぼされます。

尚巴志は父親を中山王とします。

その後、北山を攻め滅ぼし、1429年に南山を滅ぼし琉球を統一します。

この尚巴志の時代に首里城を居城とし、最終的に琉球王国の王城になったと推測されています。

首里城の数奇な運命 実は有名なあの人も来てる!

琉球の歴史の正史が成立するのは意外と遅く、1650年に作成された中山世鑑が最初のものとされています。

琉球が統一されたのが1409年であり、その間に王朝も一度変わっており、さらには薩摩藩による介入があった後になります。

王朝が変わっても首里城は王城として使用されます。本来独立国だった琉球ですが、1609年に薩摩の侵攻により薩摩、日本の従属国となります。

そのため、明治維新で廃城となるのですが、その明治維新、日本開国の引き金となったペリーが首里城を訪れています。

ペリーといえば浦賀に現れた黒船艦隊を率いていたことで有名ですが、実は浦賀に行く前に琉球に立ち寄り、一部の船員、艦船を停泊させ、残りの艦隊を率いて浦賀に向かっています。

残っていた船員たちは琉球で植物採取したり、スケッチなどしていたようです。

このことからも、当時の琉球の微妙な立ち位置が伺えます。

012c54933abdca493743debd42675e33_s

沖縄復興のシンボルとして

一時は荒れ果てた首里城ですが、昭和初期に改修され国宝となっています。

しかし、沖縄戦の際、地下に軍司令部が置かれたことで攻撃目標となり大破します。その後、再建、日本復帰の際に史跡指定となりますが、2000年に、琉球王国のグスク及び関連遺産群の一つとして世界遺産登録されました。(あくまで城跡であり、復元された建物は当然指定されていません)

Sponsored Links

この記事が気に入ったら
いいねで城の小ネタをお届け!

城ログの最新情報をお届けします

カテゴリー

ページ上部へ戻る