赤い怨念の恐怖 地元でも怖がられる心霊スポット 原城とは

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原城は、明応5年(1496年)に有馬貴純が築城したと言われています。

そして、かなり知名度の高い島原の乱(1637~38年)にて、領民達が執念で88日間籠城した最後の砦でもあります。

そんな怨念籠る原城の心霊スポットを今回は紹介していこうと思います。

原城の歴史

原城は最初、有馬貴純氏によって治められていましたが、日向国県城へと転封(幕府の命令で他所に領地を移す事)されたため、新しく松倉重正氏が就任しました。しかし、松倉氏の藩政はそれは厳しいもので、重税を課す事から始まり、領民のキリシタン信仰を厳しく取り締まるなどして領民との間に大きな溝を作っていきます。

どう生きたとて、一生この悪政に押さえつけられ飢餓しながら死んでいくのだ、飢饉に直面した領民は強く死を意識するようにります。

そして、とうとう不満が爆発した領民は天草四郎時貞を先頭に、島原の乱を引き起こして松倉氏に抵抗します。

しかし、結果は敗戦してしまい多くの幼い子供から老人までが命を落とす結果となってしまいました。その最後の砦であった原城は、領民達の恨みや怨念が渦巻き今も恐怖の心霊スポットとして語り継がれています。

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心霊スポットの場所

ホネカミ地蔵

乱はかなりの熾烈を極め、幅広い年齢の多くの死者を出しました。その余りの苛烈さに明和3年(1766年)に有馬村願心寺の注誉上人によって、その戦死者達を皆等しく弔う為に作られました。

原城を攻めた側の慰霊碑前

島原の乱を鎮圧しようとした側の慰霊碑も天草四郎の墓の近くに建てられているのですが、昼間であるのにそこだけ空気感が違うと鋭い人はすぐに感じるそうです。

乱で命を落とした無念を抱いた霊が、今もその空間を満たしているのかもしれません。

原城址からは人骨がいっぱい出るらしい…

原城に実際に出向いた人の中には、『原城址に入った途端に肩が重くなり、両肩が重くなった途端に突然金縛りに遭った』という人や、『籠城した領民達の慰霊碑の近くで、かつて虐殺された農民の姿をした男女が徘徊している』という話も聞かれます。

そして、いまだに原城址や広場の土を掘り返すと、戦死者と思われる白骨や十字架が出て来ると言われています。手厚く慰霊碑を建てたりとしていますが、その無念はまだまだ晴らされる事も無く、原城址を彷徨っているのでしょう。

終わりに

原城址は地元の方々も気軽に近付いて良い場所ではないといまだに警戒されており、夜に行こうものならば止めろと言われる程。

ですので、冗談半分で夜には行かない方が良いでしょう。

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